さて、時間を置きすぎて何書こうと思ってたのか忘れてしまいましたが後半です。
途中いくつか興味深いものとか色々見つけたので補足する形で適当に喋ります。
諏訪子の正体番外編において畿内王朝である場合は出雲と諏訪の距離が離れすぎているという感じの文章を書きましたが、ある前提を踏まえると畿内を挟んだ出雲と諏訪の位置関係――つまるところスサノオと建御名方神の関連性の不具合というのが見事なほどに払拭される事がわかりました。
ある前提というのはすなわちスサノオの分断化作業です。中央神話VS土着神話前半はこのあたりの解釈の説明をすっとばしてしまったのでちんぷんかんぷんな人もいたかもしれませんが、自分自身書いてる文章量と取り扱おうとしている情報量の量がアレなので不備として生暖かく見て貰えれば幸いです。
さて、話が逸れましたがスサノオというのが多面的な性質を持った神であり、その性質から多くの神の複合の産物であるだろうという見解は広く知られるところではあります。そんななかでスサノオと聞いて一番初めに思い浮かぶのが恐らくヤマタノオロチの逸話であるだろうとは思いますが、実はこの逸話は元々出雲地方にあったものではなく、信州八ヶ岳の逸話ではないだろうかと言われています。国譲りの逸話を否定する事から始まりますが、これの論拠としては大国主の治める大国の首都機能が出雲にあったとは考え難い事、出雲から諏訪まで建御名方を追従するだけの軍事力を当時の天皇族が有していたとは考え難い事、なにより天皇族の拠点が畿内にあったとするならば、わざわざ敵陣に近いところへ逃げようとするのかという問題があります。そして、ヤマタノオロチと信州八ヶ岳を関連付ける手がかりにヤマトタケルの逸話があります。ヤマトタケルに関する逸話で有名なのが酒呑童子の逸話ですが、これはスサノオのヤマタノオロチ退治の逸話と非常に酷似しています。酒を用いて眠らせて虚を突く手法、そして剣を強く連想させるところも非常に似通っています。というかもう、同一の逸話と言って良いでしょう。
風神録の体験版の話になりますが、上海アリス幻樂団の公式HPに提示されていたサーバーは、天照大神・月読命・素盞嗚命・大国主命・伊弉諾命・伊弉冊命・倭建命と7つ用意されていました。アマテラス・ツキヨミ・スサノオは三貴神として知られるところですし、イザナギ・イザナミに関しては始祖神として知られるところですので、むしろ何故ここにヤマトタケルがいるのかが最初不思議でならなかったのを覚えています。ここまで調べてみて納得できたのでまぁ、考察の方向性もそれほど間違ってはないかなと思ったり。
さて、そうなるとどうなるかと言うとスサノオの性質が出雲のスサノオ・諏訪のスサノオと二分される事になります。細かく言うのであればオオナムジ・タケミナカタという分断のされかたになるでしょう。ここからは全くの私見であるので(そもそも私見の塊ではありますが)信憑性のほどは定かではありませんが、恐らく出雲と諏訪にそれぞれオオナムジ・タケミナカタという王が独立して存在していて、それを神話として統合する過程でオオナムジ・タケミナカタを繋ぐために父大国主という存在を仕立ててワンクッション置き、さらにその上にスサノオという人格神を作り上げたと考えるのが自然であるでしょう。あくまで出雲が母体として扱われた理由についてはよくわかりませんが、オオナムジは大国主そのものとして描かれ、建御名方神は大国主の現地妻の子として描かれていたりします。因みに国譲りの神話において大国主の子は事代主と建御名方が存在しますが、事代主はむしろ邪馬台の神であるだろうと言われてたりします。また、事代主はその名前の持つ意味から託宣を発する呪術の使い手であったのであろう事がわかります。つまり神託を受ける巫女に近い存在であったと言えるでしょう。また、この事代主という神は釣りというキーワードから恵比寿にも習合しています。ここら辺は意図的であるのか偶然の産物であるのかはわかりませんが、恵比寿は蛭子とも同一視され、蛭子は「日の子」という解釈から妹である天照大神とも同一視されているのです。
つまりこの辺りを複合的に考えるのであれば、国譲りの神話に出てくる事代主・建御名方の両名は天照大神とスサノオであるという事になります。酷い話もあったものです。つまるところ神話における出雲の項を信じるのであれば天照大神とスサノオの上に大国主という存在がいるという事になります。さて、ここからツキヨミに焦点を当てていきますがツクヨミという名はその通り月を読む事を連想されます。月を読むという事はすなわち暦を読むという事に繋がりますので農耕における絶対的な地位をも読み取る事ができます。また、黄泉の国は夜見の国を連想させるので穿った考え方をすればツキヨミの国であるとも捉える事ができます。そして、出雲の大国主は因幡のヤガミヒメという神にも求婚してたりしますが、このヤガミヒメは八神姫と書き夜神姫へと繋げる事も可能になります。神の婚姻が権力の掌握を表すとするならば、大国主は記紀神話で言うところのツキヨミすら掌握している事になります。ようするに三貴神であるアマテラス・スサノオ・ツキヨミを統べる唯一神的な存在として出雲の大国主は成り立っているのです。これはある意味ではすごく出雲本位な解釈であると言って良いのですが、何故か記紀神話はこのテイストをそのまま残し、さらにそれを上書きする形でタケミカヅチつまり天皇族本意の存在で上書きしています。やたらと複雑でわかりにくい事この上ありません。この辺りから察するに、天皇族の支配を受け入れた出雲族ではあったもののその力は天皇族と拮抗したものであり、天皇族も出雲族の我が侭をある程度受け入れざるを得なかったのではないかと想像してみます。
さて、だいぶ話が逸れましたがそんなこんなで出雲のオオナムジ・諏訪のタケミナカタの分断が済んだところで先を進めます。キャラ設定txtにおいて諏訪子は最先端の製鉄技術を持っている事が示唆されていますが、これはオロチ退治における製鉄技術の獲得を連想する事ができます。また、諏訪子のセリフから「一国の王として生まれたのではなく、(他勢力を統合して)一国を築き上げた」事がうかがえます。諏訪が当時の鉄を精製する上で重要な黒曜石の最大産地であった事から察するに、信州八ヶ岳にオロチ族という製鉄民俗が元々存在し、その勢力を飲み込むことによって諏訪の王は大国の王として名を馳せたのではないかという所です。
さて、製鉄を主産業とする大国である諏訪が何故天皇族のような新興勢力に飲み込まれなければならなかったのかという所ですが、ここに考えられる要素として大規模な寒冷化があげられるでしょう。縄文民俗というのは自然との共存をまず第一としました。よって自然のバランスを崩すような大規模な稲作というものに対しては否定的で、あくまで自然からの恵みとして補助的に農耕をするに留めていたようです。しかし、寒冷化の影響によりその手法では食料を確保する上での限界が生じてきます。その大規模な食糧難こそが天皇族のつけいる隙だったのではないかと考えられているようです。また、天皇族も武力強化のために製鉄民俗を抑えている諏訪を取り込むメリットがあります。この事は神奈子が風の神、つまり農耕の神であったとされている事からも裏付けられます。つまるところ天皇族は寒冷化により他国の食糧事情が悪化しているところにつけこんで優れた農耕技術を足がかりに覇を唱えたのではないかといったところなのです。
さて、そこからどうなったのかと言うと、諏訪と天皇族の関係はギブアンドテイクが成り立ちますのでおそらく一方的な従属関係にあったとは考え難く、恐らく同盟に近い関係にあったのではないだろうかと考える事ができます。これは卑弥呼とされる倭迹迹日百襲媛命が大国主に嫁いでいる事からも察する事が可能です。卑弥呼の存在していた時期を考えると三世紀半ばですし、考古学的な見地に立つと天皇族が出雲を統合したのは七世紀あたりになるという事なので、ここで示される大国主は出雲の大国主ではなく諏訪の大国主であるだろうと考える事ができます。また、日本における箸の流入が五世紀以降である事を踏まえると箸で陰部を~の下りは後世の後付と読み取る事もできます。この辺りは天皇族が絶対的な覇を唱える上で同盟の事実を無かった事にして一方的な従属を正当化するために付け加えられたのでは無いかと考えられます。当初は恐らく正常な婚姻関係にあったのでしょう。
さて、天皇族と諏訪民俗の関係が同等な同盟関係にあったと仮定すると天皇族が神の婚姻関係としてその足跡を記しているのに対して諏訪が何もしないわけがないと言って良いでしょう。諏訪の神として描かれる建御名方神の妻神としては八坂刀売命が挙げられます。以前も書いたかもしれませんが、八坂刀売命は一説では神武天皇の叔母とされていますし、これも諏訪と天皇族の同盟関係を描いた逸話であると判断して差し支え無いでしょう。さて、ここで気になるのが対比ですが、建御名方神は畿内では大国主として描かれています。そして、その妻は天皇族の中枢であった卑弥呼です。では建御名方=大国主であるのなら八坂刀売命と卑弥呼もまた=で結びつける事が可能になります。そして、話はスサノオに飛びます。
スサノオの妻神であるクシナダヒメはその名前の持つ意味から田畑の象徴であるだろうと言われています。そして、クシナダヒメの両親であるテナヅチ・アシナヅチはツチノコから蛇を連想させます。卑弥呼という名には「日の巫女」「蛇の巫女」という意味があり、そして天孫シリーズの名前から判断すると天皇族の動力源にはやはり農耕があります。これはつまり製鉄技術を治めた神が農耕を司る神と婚姻関係を結んだという事に繋がり、諏訪の建御名方と八坂刀売命・畿内の大国主と倭迹迹日百襲媛命・という関係と、やはり一致するのです。
では、その後どうなったのかと言えばここから先はやはり想像に身を任せるよりありません。風神録エキストラステージの会話内容から察するに諏訪子は志半ばにしてその命を失っている事が読み取れる程度です。自刃したのか或いは謀略により命を失ったのかまでは判別がつきません。そうして、時代は流れ卑弥呼自身も謀略によってその命を落とします。卑弥呼を裏切ったヒコミコがそのまま覇権を握ったのか秀吉よろしく第三勢力によって滅ぼされたのかは定かではありませんが、ともかくここで卑弥呼の時代は終わり、ヤマトは第二のアマテラス台与へと受け継がれます。そうして時代は流れ神話は権力鼓舞の道具として次々に書き換えられ、時には異なる系譜を抹殺する事によってその正当性を保持しようと画策して、今では何が本来の神話であったのかもわからなくなってきています。主に水戸光圀とか明治政府のせいです。ただ、そんな中から断片化された情報を手繰り寄せ真実の歴史はなんであったのかを知ろうとする行為に対して俺は浪漫を感じずにはいられません。偉大なる考古学者達の連綿たる足跡の上で僕らのようなアマチュアも真実を知ろうと、或いは伝えようとする事ができるのです。太古に刻まれた人々の足跡の正体を知ろうと色々調べるのも悪くはありません。自分の中での切っ掛けはゲームだったというだけの話です。さて、綺麗に纏めたところで中央神話VS土着神話の考察はまだ続くと思います。生暖かい目で見守って頂ければ幸いです。本家の神主と多少解釈が異なっていても俺は責任を取れないのであしからず(ぇ